こんなポンコツの俺が教育者として食えるようになったのか①
どうも、はてなブログをいじくれるようになり毎日黙々とカスタマイズ作業に勤しむイケメン先生岡Pです。
今回は僕みたいなポンコツイケメンがどうして家庭教師、個別指導の先生になり、いっちょ前に開業+独立し、そこそこ人気売れっ子teacher(GTO )になれたのかとふと思い記事にしてみました。
割と超大作かしそうなので3部作構成にしようと思います。
今回のPart1ではイケメン岡P22歳~25歳までのエピソードをまとめてみました。
なぜ教育の道に?
大学を卒業後、片山晋吾選手がマスターズで4位になる姿をみてプロゴルファーになりたいと思い、独学で目指すことを決意。
パパ「やってみ!」
ママ「大学に行って頭がおかしくなった…」
高校時代から少しずつ来てたよママ…
てな感じで 「ゴルフをやるのにはお金がかかる」と思い
求人表をみて時給が高い仕事を探す🔍と、塾講師の仕事を発見。
「これで、いっかな」
こんな不純な動機が先生スタートの理由。
初々しい先生デビュー期!!
CMで有名なY◯Kの個別指導の講師として先生デビューする。
今ではまったく感じなくなったが期待と希望に満ちていた。
いや、溢れでていた(>_<)
お金のために
違う。
子供達のために!!笑
現実はあまくなかった
授業の進め方、教え方の指導も無く、答えを読みあげているだけだったので当然
「先生、来月からは他の教室に行ってもらえないかな」
事実上の解雇。
戦力外になってしまう。
「なら他探しまーす」て感じで辞めることを決意。
反省はしない。
昔も今もあまり変わらないのですが僕は人の話、意見を聞きません。
そのくせ生徒が聞かないとキレますけどね♥笑
話がそれたのですが、今度はうるさいことを言われない職場、働き方はないかと考え
「家庭教師いいんじゃね、時給いいし!」
決定。
ハイジのCMの会社に電話し生徒をGetする。
「クビにならないよう頑張ろ!」
なめている。
それが家庭教師の始めの一歩である。
家庭教師になり気持ちに変化が
家庭に足を運び、授業を行い(ちょい雑談)、保護者と話す。
そういう時間を過ごしていると自ずと情が沸いてくる。
中学3年の受験生だったので何とか合格させたいという気持ちが強く出てきた。
遂に
お金 < 生徒の未来のために
に進化したのである。
本屋で参考書を立ち読み(1、2冊は買いました)、Youtubeで先生達の授業を研究。
我なりに努力した。
そして、生徒を合格させ、喜びや達成感、金一封を得るのである笑
そしてあの事件が
24、25歳の頃はゴルフの向上と相反するように先生としてのスキル、力量は上がっていった。
ハイジの会社からも生徒の案件が取れるようになり、時給もUP。
「ゴルフでダメだったら、塾講か家庭教師で食っていこう」と少しずつ思い始める。
そんな矢先東日本を驚愕させる事件が。
そう東日本大震災…あの悪夢の
「生徒ん家大丈夫か」
「おい、これじゃあ仕事出来ねーぞ。どうすっぺ…」
そして、ここからイケメン岡Pは予想もしない激動の20代後半に突入していくのである。
〈続く〉